KAWACHO ROOM

                              
                             

             
      高校2年生時、初の日本代表となりタイへ遠征し日本チームがことごとく
      KO負けする中、タイ国大学チャンピオンに勝利した。この時日本2-12タイで、
      日本は惨敗であったが唯一の勝利を挙げた。この試合はタイ国全土でテレビ生
      中継された。上の写真はたまたまテレビ画面を撮影した方から頂いた貴重な写真。

               
        大学時代1986年と1988年、”レギュラー”で2度の大学日本一となる
ボクシング(現役時代と指導)
 「これは!」…と言うほどの成績を収める事はできなかったですが一応の成績はあります。
 そこで、このコーナーではkawachoの過去の戦跡等をご覧頂きたいと思います。それと指導については、長い間部の顧問としては縁がなく今まで「お願いされた特定の人だけにしか指導してこなかった」現状があります。
 全国大会に出場するもいつも1回戦で負けていた生徒を数カ月でインターハイ準優勝、国体準優勝にした事を始め県大会で勝った事がない選手を数カ月で勝たせるばかりか優勝させインターハイ出場させあげくボクシングで大学でスカウトされ進学させる事もありました。(kawachoが教えた選手ならほしいと大学側で言ってくれ)
 あと私の覚えているところ3人いるが、その生徒達もやはり県では無敵ではあったが東北大会、インターハイが勝てずに悩んでいた時に私の噂を聞きお願いしに来たため快く承諾し数カ月指導した結果、インターハイ3位内入賞始め国体上位入賞、全国レベルの東北大会で優勝ばかりかMVP(最優秀選手賞)を獲得する選手等も育てた経緯があります。
 また現在閉校してしまった五所川原東高等学校(五所川原高等学校東校舎)で部活動としてボクシングを新設し初めて顧問として指導。
 新設3年間の指導(3年間で東北大会準優勝、県チャンピオン、後のプロボクサーを輩出する)の後転勤。
 その後ポチポチと指導をし、全国上位レベルの青森県で、わずか3年間の間で”県団体4位入賞”他、”東北大会準優勝”、県大会で8階級中6階級で選手が”決勝進出”を果たす”離れ業”をやり注目される事も・・・
 以上の様に「指導」に関してはこういった経緯がありますが今は縁がなく指導はしてなく充電中。

 選手としては、ボクシング競技で優秀な選手(プロボクシング世界チャンピオンやオリンピック銅メダリスト等)が出ている青森県で初の「国民体育大会10年連続出場」の偉業を果たし全日本アマチュアボクシング連盟から表彰されました。
 全日本チャンピオンや国体チャンピオンは本県から多数出ていますが、「国体10年
連続出場」どころか「10年出場選手」は今だ(2014年)にkawacho以降出ていません。
 (早くても後10年は記録を達成する選手は出ないです。2014年現在kawachoのみ)
 全国でもハイレベルの”東北ブロック予選”を勝ち抜く事はかなり難しいんです。
 そのハイレベルの東北ブロックを勝ち抜き”東北代表”(団体で東北6県中上位4県に入らないと個人で強くても全国に進出出来ない現状があるため団体でまとめないと出場が出来ないんです)になりkawachoは達成しました。

 kawachoは”国体10年出場を狙っているが絶対に達成出来ない”と言われ始めた国体連続出場の8年目から青森県のキャプテンを依頼されキャプテンとしてチームをまとめ自分の成績以上に一人一人の指導に務める。

 kawachoは”一般の部”出場のためあえて自分の出場記録に関係がなかったのですが、”高校の部”出場の高校生もあえて”指導”し青森県出場の選手(高校の部と一般の部出場)を全体で”チーム”として作り上げました。

 その結果国体10年連続出場がかかった最後の年、何度も言いますが、日本で最もレベルの高い東北ブロックの”東北ミニ国体”(国体本選出場東北予選)でなんと青森県は前人未到の”完全優勝”(高校の部及び一般の部同時優勝)を成し遂げました。
 私も全体の”キャプテン”としてなり遂る事が出来嬉しかったです。
 それ以来”優勝”どころか東北予選を通過できない年もあり”本選”には行ったり行けなかったりを今現在続けているそうです。
 それ以来、東北ミニ国体の完全優勝は出来ていないですし”国体10年連続出場”どころか”10年出場”出来そうな選手もいないそうです。
(2014年現在、県人でこの記録を達成しているのはkawachoのみ)


 下はその当時の記事です。その他、RAB、ATV、NHKのテレビ、地元等の新聞にも出演していました。青森県アマチュアボクシングの中では最も多く報道関係に出演したと思います。
東奥日報、陸奥新報、ニッカンスポーツ、ATVニュースワイド、RABニュース、RABあっと生テレ、ABAスーパーJチャンネル、NHKアップルワイドニュースTODAY、RABスパギャン深夜同盟他多数に出演。


                              

              青森県の長きに渡るアマチュアボクシングの歴史で
            国体(77回+特1)、青森県で最初(1946年)で最後(2023年)の
           国民体育大会「10年連続出場:を成し遂げる!!

                  

                       全日本の大会でも活躍

                               

常にどの試合にも手抜きはしない技巧派ボクサーであった。おもしろい話だが、某大学監督に「もし、オリンピックにボクシングの型の部があったら、オリンピックで金メダル間違いなし」とまで言われたボクシングスタイルは、華麗であった。                                                            

                       

上の写真は国民体育大会で国体チャンピオンをKOした瞬間である。
kawachoは「KOアーティスト」でもあった。右は全日本選手権準々決勝でKOした瞬間である。全日本選手権の一場面である。全日本王者やや全日本社会人チャンピオンなど数々の強豪をマットに沈めてきた。


                     

上の写真は全日本選手権準々決勝の写真。減量13Kgして望んだ1戦であるが、始めに相手の強打に2度ダウンを奪われ絶体絶命のピンチから大逆転でKO勝ちを収めた瞬間である。

                  
 
引退試合と決めたわけでないが、この記事が出てしまったので一応、言うがままにこの大会をもって引退。
しかし、オリンピック選手でもないのに、「ラストファイト」と記事になるのは超異例の出来事。それだけ、当時は目立っていたのかも?しれない。(強い者にやたら強く弱いものにはやたら弱い…)



後進の指導でも活躍。
どこに行っても生徒を弟のように可愛がり選手指導に関してはプロ関係者始め某大学関係者や他県方のからも一目おかれてもらっている。しかし、あまり県には評価されていない。そのため、「なぜkawachoの教える選手はみな全国へ出れば皆上位にを狙えるのに県でつぶす、それなりに判定が可笑しければ俺に言え。スポーツ裁判と言う手もあるぞ」と言う親しくして頂いている全国でも有名な弁護士先生方も…今後考えたい。有難い話しである。


            

ワンツーマンで教えた弟分(教え子)7人のうちA、Bの2人は、関東大学リーグ戦で活躍。タイトルも獲得。
Cは、3年間1勝も出来なかった選手を最後の県高校総体で2部ではあるが、全KO勝ちで優勝させる。また次の年同じ状況からDは最後の県高校総体バンタム級で全KO勝ちし1部で優勝しインターハイへ。彼はその後スカウトされ某大学に進学する。Eは、高校2年生から全日本の大会に出ているが、一勝も出来ず門下生となり、わずか3ヶ月の指導で国体2位となりプロ入り。Fはボクシングで準優勝で終わったが私が教え鍛えた武士道心を生かそうと大相撲へ入門した。

kawachoの戦歴である。
国体10年連続出場記録表彰(青森県人で2014年時点でkawachoのみ達成):第10回ハワイ国際トーナメント優勝:全日本大学王座決定戦2度優勝:国民体育大会10年出場中7度5位内入賞
全日本チャンピオン、全日本社会人チャンピオン、国体チャンピオンなどをKOしたこともある。

得意パンチ 伝説の左ボディアッパー:左フック:右ストレート等

ボクシングスタイル ボクサーファイター
(打ち合う時は徹底し打ち合い、フットワークを使って華麗なアウトボクシングもできるとても芸術的な綺麗なボクシングをしたと言われている。)
元オリンピックコーチからもお墨付き!!型の部があればオリンピック金メダル間違いなしとまで言っていただいた。(笑)


 現役の最後の方で国体青森県チーム(ボクシング)のキャプテンを数年務めたが、国体10年連続出場がかかっている間もkawachoは青森県のチームのキャプテンとして頑張りkawachoが最後に出場した東北ミニ国体では少年・成年チームが数十年ぶりに総合優勝(少年・成年ともに)をしリーダー役をしっかり務めた。それ以来、kawachoが選手として国体を離れてからは青森県は総合優勝どころか国体出場すらも少年、成年チームとも「出たり出なかったり」を続けている。それだけkawachoのリーダーシップ並びに指導力はすばらしかったのだろう。指導に関しては①大学の後輩を指導し勝てるはずのない選手を数ヶ月の指導で国体3位、②高校の後輩を指導しインターハイ、国体準優勝、③1度も勝てなかった選手(2名)を試合前最後1ヶ月の指導で県チャンピオンにする、また以前、④某私立高等学校の監督に依頼されわずか1年で県団体総合優勝を果たしたりした事もあった。⑤大学の後輩の相談にのりアドバイスのもと、後輩はプロ入り、日本チャンピオン始め東洋太平洋チャンピオン、世界ランキング1位まで上りつめ、最後には世界挑戦も2度するほどの選手となる。⑥五所川原東高等学校に赴任した時には、20年以上どの部活動も県3位どころか1回戦も勝てなかった貴学校にボクシング部を創設し1年目から県準優勝をする選手を育てる。3年目で県チャンピオン、東北準チャンピオンを育て脚光を浴びる。kawachoの指導した選手は東北、全国に行って優勝すれば必ずと言っていいほど3賞(最優秀・技能・敢闘)にのノミネートされたり受賞する。母校勤務時には当時の顧問の依頼を受け当時顧問だった自転車部の他にボクシング部を指導し、インターハイならびに国体準優勝選手、東北最優秀選手を育て、その他十数年ぶりの団体優勝に貢献した。それだけ全国で
kawachoの指導は認められているのだろう。kawachoが指導した選手の中に(一定期間)、八戸市のボクシングジムにkawachoが練習で通っていた時に指導した選手が現在活躍しているプロボクシングの日本チャンピオンになっている。(K選手)、元世界ミニマム級1位の選手にもアドバイスをし世界挑戦の手伝いもした。また三沢に勤務していた時、三沢市民体育館でボクシング教室で指導した選手が今K1で活躍している小比類巻貴之選手等を指導。今本腰をいれ貴高校でボクシングの指導をしている。が、非常勤勤務のためなかなか日常で選手とのコミュニケーションがとれない非常事態、指導にも悪戦苦闘をしていたが、生徒の事を思い、「一生懸命やっている生徒のためにならない」との事で貴校を退職。            

全戦績 130戦100勝(80KO・RSC)30敗

                  
 三沢ボクシングクラブ時代に基本から指導した  第10回ハワイ国際トーナメントで   高校の先輩で
のちの日本Sライト級   K1世界チャンピオン  優勝し、喜びを分かち合った   元世界フライ級チャンピオン
名チャンピオン                  元ロサンゼルス&ソウル五輪日本代表
 木村 登勇 氏    小比類巻貴之 氏      三浦 国宏 先輩        レパード玉熊 氏

 *この文章でおもしろおかしく書いている箇所(全て本当の事ですが)がいくつかあります。おとなげなく本気になってkawachoさんの指導している生徒や関係者に罵声を言うのはお止めください。これはあくまでも生徒募集の一環として本人の許可を取って記載しているものです。あくまでも実績がない方とは違いkawachoさんは上記の様な実績があったので記載させて頂いてます。

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